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--7曲目の「One Last Time」。音は迷いのないメロディック・パンクで、歌詞がすごく強烈です。
「うん。これはシングルの「Never Walk Alone」の世界観に、もうちょっとの辛辣さ、あとはパンクロックのアティテュードを混ぜて書いてみた。子供たちに言ってやりたいことだし、同世代にも向けてるし。これもたぶん、今回のアルバムのキーになる曲じゃないかな」
--ここでサビに“Last Time”っていう言葉を持ってきたのは?
「……そうだなぁ。TOSHI-LOWじゃないけど、今日が最後なんだっていう想いは、俺にもあるの。いつでも。これで80歳まで生きたら笑いもんだけれど(笑)。でも、毎回これが最後だっていう想い、その切迫感はいつでも持ってる。恥ずかしいけれども、けっこう本気で思ってる」
--そこを歌にするのは初のことで。いくらでも深読みできるんですよ。新境地の「Roll The Dice」を楽しそうに鳴らした直後だから、もうこういうパンクロックをやるのは最後だよ、っていう解釈もできちゃう。
「あぁ! なるほど。………そうかも(ニヤリ)」
--もっと言うと、このスタイルが好きで、ハイスタからずっと付いてきてくれるファンに向けて『これが君たちに託せる最後のメッセージだ』って言っているようにも思える。考えすぎかな?
「いや、そんなことない。今のそれ、格好良かったから採用してください(笑)。 この年になってくるとね、今まで言わなかったことも、ちゃんと言っとかなきゃいけないって思えてくるの。行動もそう。今までやらなかったこともやるべきだろって。45歳……今年46歳で、いつまでできるんだろうなって考えることもある。周りでも若くして亡くなる人が多いし、自分だっていつ来るかわかんない。もう出し惜しみしてられない。そういった意味では、前のインタビューで石井さんが言ったように、最終章なのかもしれない。すんごい長い、まだまだ続くのか、みたいな最終章になるかもしれないけど(爆笑)」
--次の「Mama, Let Me Come Home」もメロディックですね。勢いと流れに乗って、すごい歌詞をぶっ込んできたなぁと。
「そう。俺、戦争映画が好きで。さっきの『フルメタル・ジャケット』しかり、いろんな映画を見るんだけど。やっぱ今まで見てきた戦争映画って20世紀の戦争でしょ。今の戦争はもっと機械化されてるから時代錯誤なのかもしれないけど、あえて文字に、歌詞にしてみた。もちろん、ISとかのニュース見てると今もこういう風景を想っちゃうんだけど」
--第二次世界大戦の日本兵のイメージもありますね。今の日本の国会を見て、よけいそう思うのかもしれないけど。
「うーん、特に日本兵だっていうことではないんだけども。でも今、それこそ日本は安保法制で揺れていて、そこは俺、ステージでもよく言うの。『安保がいいか悪いか、それは人それぞれ考えるところ。でも俺が言いたいのは、もし戦争に舵を切ることになったら死ぬのは俺じゃなくてキミたちの子供なんだよ』って。ライヴの場所ではまず楽しんでくれればいい。その後も美味しいもの食べて、笑顔で帰ってくれればいいんだけど。でも今この国で何が審議されているのか、どういうことが起こっているのか、そこにも目を向けて考えなきゃいけないよと。そういうことを考えなかった成れの果て、っていう曲かな」
--テーマは「Dance,Sing,then think」と同じだけど、伝え方は一番強烈な手法ですね。“たとえば俺はこう思う”っていう歌詞では全然ない。
「そうそう。自分でも、ゲッ、って思うもんね。そうね、この7〜8曲目あたりはすごくメッセージ性が強いと思う」
--そこから、これまたびっくりのナンバー「Yellow Trash Blues」です。これも、箱モノギターから自然に生まれたことが想像できますが。
「そう。「I Don’t Care」ができたから調子に乗ってもう一曲作った(笑)。イメージは、ストレイ・キャッツの「ストレイ・キャット・ストラット」っていうブルージーな曲。KEN BANDでも時々遊びでやってたの。こういう雰囲気の曲があったらいいよなっていうのがスタートで」
--健さんとブルースって、あんまり結びつかないんですけど。リスナーとしてはさほど遠いものじゃない?
「……あー、そうか。でも俺、自分ではブルース・ギタリストだと思ってるから。特にギターソロ弾いてる時は、ほんとブルース・ギタリストなのね。ギターの世界の話だけど、ブルースの音使いっていうのがあって。基本的に俺はそれなの。だから、ブルースって自分にとっては当たり前すぎることで。たぶん、すべてのギタリストってブルース弾けないと使いもんになんないと思う。それくらいブルースって基本的なこと」
--なるほど。
「で、これは自分のことをすごく自虐的に歌った曲でもあって。黄色いゴミのブルース、だからね。自分のことを黄色って言い切ってる、ゴミって言っちゃってるところにも何かしらの意味があるんだろうし。でもこの曲は、自然と自分のこと歌いたいなぁと思ってた。自分自身のことを」
--両方ありますよね。負け犬の自虐であり、一匹狼の誇りであり。なんとなくトム・ウェイツっぽさもあったり。
「うんうん。ね、曲調は全然違うけどトム・ウェイツとか、ポーグスのシェーンだったり、あとブライアン・セッツァーもそうだけど、みんなやっぱ詩人だよね。それこそサイモン&ガーファンクルの頃のポール・サイモンとかも、すごくいい詩を書くし。そういうのを見てきて、いつか自分でもこういうことを歌いたいって思った。言い当てることと、含みを持たせること。たとえば20年後に違う文化圏で暮らしてる人がこの歌詞を見ても、ゲッ、って思えるものにしたい。そんな気分もあったな」
--なるほど。シングル曲の「〜Radio」はコラム参照で十分だと思うので、「A Beautiful Song」に行きましょう。びっくりしました。バラードでストリングス!
「ははは。先に言っちゃった! でもこれは、実は一番最初にできた曲で。(DVD化された『横山健〜疾風勁草編』収録の)「Stop The World」よりも実はこっちのほうが先にあった」
--時間軸で考えると『Best Wishes』の世界観に近い? あのアルバムは「If You Love Me」のカバーで終わったけど、もしオリジナル曲を当てはめるのであればこういう感じだった……みたいなイメージですかね。
「うんうん、かもしれない。で、この曲をレコーディングするんだって思い始めた段階で、ストリングスを入れたいって思った。絶対いいものになると思ったし、自分でゾワゾワくるのもわかってた。実際レコーディングも素晴らしくて。ほんとやって良かったな。いつものアルバムだったら、この曲はアコギで歌ってたと思うんだけど、やっぱり新しいことがしたかったから」
--歌詞も興味深いです。今、『Best Wishes』の直後だって聞けば納得できるんだけど。
「うん。でも歌詞はレコーディングの一番最後に書いたものなの。で、これもやっぱり詩的に書きたくて。だから……実話も入ってるんだけど、歌詞は説明すると無粋になっちゃうな。ふふふ」
--震災がどう、愛がどうと一口に言えないストーリーですし。
「そうそう。ほんとはね、これ「even though it isn’t true」っていうタイトルだったの。歌詞にもあるけど、“ウソでもいいから”っていう意味の曲だった。でもジュンちゃんから(モノマネで)『そんなんお前、日本人にわかんねぇよ。まず言いづらいよ』ってダメ出しされて(笑)。でも、この言葉はこの部分に上手くハマってるから、じゃあどうしようかと。それで最後の一文にある“a beautiful song”っていう言葉を曲のタイトルにして、こういうふうなストーリーで締めたら、すごく自分も納得いくなぁと思って。その時に口ずさんだのがこの曲だった……っていうような」
--余韻もあって、いよいよエンディングっていう雰囲気なんだけど。でもこれがラストではないんですね。
「そう。これもジュンちゃんとミナミちゃんが言ってたな。これがラストだと、ラストらしくなりすぎるからって。それで次の曲が来るんだけど」
--ただ……これ、要らなかったんじゃないかって思います。
「(爆笑)……ほんとに?」
--いや、「A Beautiful Song」の余韻がすごくいいから。せめて一分くらい無音の空白を作って、ボーナストラックとして「Pressure Drop」のカバーが来るという設定ならいいんだけど。
「ははははは! まさかの、オフィシャル・インタビューでダメ出し! 甘んじて受けます! 順番が逆だったら良かったのかな?」
--うーん、「Pressure Drop」は置き場所が難しい曲ですよね。
「確かに。スカだし」
--これをカバーしようと思ったのは?
「やっぱね、もともと曲が好きだったのもあるし、あと、ロックンロールを自分の中で掘り返してるうちに、スカもいいんじゃないかって思い始めて。それで突然メンバーに『あの、僕、スカやりたいんですけど』ってメールしたの。したらミナミちゃんは『……モノによりますかね』って(笑)。もちろん僕以上に、あの人も勇気がいったと思う。KEMURIが今は復活してて、これだけ元気にやってる中で。俺たちは関係ないって言えちゃうけども、ミナミちゃんはそこに目を背けるわけにはいかなくて。こうやって自分がスカを弾くことになるのは、相当の勇気が必要だったはずだし」
--ですね。リスナーとして好きなのはクラッシュ・バージョンですか。
「いや、俺は実はスペシャルズ・バージョン。そっちのイメージなの。でもジュンちゃんとミナミちゃんはクラッシュ・バージョンを想像してて、その2つを合わせた感じ。でもこの曲、聴きどころいっぱいあるんだよ?」
--要らないとか言ってすいません(笑)。ただ、全員が絶賛するわけじゃない、賛否両論は避けられないアルバムだというのも事実だと思うんです。
「うん。でもそれで上等。今までの作品もそうだったし。今回は特に、まず自分が興奮することが第一だし、ほんと大変だったけど、すごく楽しいチャレンジだったし、いい糧になったと思う」
--求められることに応えるより、冒険して挑戦することのほうが大変ですよね。それができるのは、実は今までより攻めているからで。
「うん。そう。まさか『FOUR』作ってた頃の自分がのちのちこんなアルバム作るとは、夢にも思ってなかったから」
--しかも、たった5年で。だから本当は音楽性や嗜好が変わったというより、横山健という人間があの頃からずいぶん遠い場所に居るんだろうなと。
「うん。そうだね。『Best Wishes』出してからの動きも大きかったと思う。映画作ってもらって、本も出さしてもらって、あとは写真集も出してもらって。横山健という人間の、音楽以外のところ、人間そのものっていうところを露出させてもらって。それがあったから考えられたし、挑戦できた。今回の音楽的なチャレンジはもちろん、Mステに出たことも含めて、全部がひとつの流れになってるなぁって自分で思えるから」
--3月には武道館も決まっていると聞きました。これもMステほどではないにせよ、大きな話題になりそうですね。
「うん。まぁ武道館はね、俺らが最初にやった(2008年の)後に、オールスタンディングが事実上できなくなってたの。消防法の担当が変わったらしくて、それがまた変わるのを待つしかなかった。で、ようやくできるタイミングが来たから、なるべく早く日程取ってやろうって。それで決まったのがちょうど今回のツアーが終わる頃のタイミングだったのかな」
--2008年の「DEAD AT BUDOKAN」でも、ついに横山健が武道館だって騒ぐ元キッズの熱はあったけど。今の健さんは、もっと違う意味での熱量や期待を背負って立つことになるでしょうね。
「………今はまだそこ考えたくないかなぁ(苦笑)。そっかぁ。でも……それを望んでたはずだし、自分でやりたくてやってることだし。こうなったらほんと、背負う勇気を持っていかないとね。Mステ出るって決めた時点でそれは覚悟したはずなんだけど、あらためて今、そういう勇気が必要だなって自分に言い聞かせてる。で、武道館の頃にはね、もしそういった期待があるんだったら、それも全部背負えるぐらいの気持ちになってないとね」
INTERVIEW BY 石井恵梨子
--熱量高く作ったというアルバムが、まず「Dream of You」から始まるのは、ちょっと驚きました。
「ふふふ。敢えて。レコーディングを終えて全体像が見えてきた段階で、ミナミちゃんが『これ一曲目にしようよ』って言い出したの。今までだったら、まず掴みはオッケーみたいな曲を一曲目に持ってきたはずなんだけど、今回はアルバム全体がそういうものではないから」
--正直、最初は、あれ? って感じましたね。やっぱり一曲目はガツンと来るもんだと思っていて。まぁ考えてみればCD世代の思い込みなんですよね。A面B面だった時代のレコードは、決してそういう作りじゃなかった。
「そうそう。で、これはオーソドックスなロックンロールだから(笑)」
--曲調もごくシンプルなロックンロールで、今までになかったもの。
「そう。あとこれには実はラテンとかマンボの要素が入ってる。メロディ・ラインとか、リズムもそうだし。ラテンとかって普段そんなに聴かないんだけど、去年の夏はリッチー・ヴァレンスの「ラ・バンバ」だったり、ポール・シムノンがクラッシュの後に組んだハバナ3am、あとはペレス・ブラードとか、そういうのをいっぱい聴いてた。そのフィーリングをなんとかキャッチしようと。そういう作業が面白くて。今まで、積極的な興味を持って聴くことってなかなかなかったから」
--そしてこの曲は、歌詞がまた……結構なものですね。
「まぁ…… チンコマンコの歌です。誰でも頭の中にいる理想、目を閉じると出てくる理想の彼氏・彼女がいると思うのね。それは実在する人であったり芸 能人であったり。僕の場合はね、今はね、...今はですよ?もうちょっとおっぱいの大きい佐々木希」
--ははは。ちなみに私は豊川悦司です。
「あ、そうなんだ。でもさ、目を閉じてみればトヨエツさんが自分と一緒に素敵な暮らしをしてるはずなのに……まぁ実際は誰かのおっぱい吸ってるよって」
--うわー、嫌だ。悔しいなぁ!
「悔しいでしょ! 俺も悔しいもん、そういう、残酷な歌です(笑)」
--わはは。すげぇどうでもいい! 真面目に訊くと、こういうくだらなさや笑いも今回は必要だったってことですか。
「うん。これ実は『Best Wishes』の時の気持ちとすごく密接な関わりがあって。前作の時はすごくシリアスに、震災を受けての自分を歌詞にしたかったんだけど。でもツアーしていく中で、こういうところもあってもいいよなって思うことはあって。たとえば不謹慎だけれども、震災後の避難所ではTENGAが喜ばれたって。それは不謹慎じゃないのかもしれない。俺はよく『政治の話とチンコマンコの話は一緒です』ってステージで言うんだけど、それをここでも出したかったのかもしれない」
--わかりました。次は「Boys Don’t Cry」。これはメロディック・パンクとロックンロールが五分五分で混ざったような曲。
「そう。でもすごくシンプルで。これは後半にできたのかな。そろそろ戻っていこうっていう時期だった」
--歌詞は強いメッセージが連打されていますね。
「そう。頭の中にあったのは『フルメタル・ジャケット』のハートマン軍曹。戦場に向かう人たちに、お前たちを殺人マシンにするんだって叩き込んで、性根をガンガン入れていくアメリカ海軍の人。嫌いな人もいるだろうけど、俺、あの人のキャラクターすごく好きで」
--とにかく言葉が酷いし汚いんですよね。キューブリック監督が字幕の日本語訳を確認して、『こんな優しい言葉じゃないんだ、もっと汚い言葉はないのか!』と直させたという話もあって。
「あぁー、なるほどね。でもそれくらい強烈だもんね。ほんとにプライドもズタズタにするし、価値観を台なしにしちゃう。それがいいのか悪いのかはわからないけども、でも、人にモノを教える時にあの熱はアリなんじゃないのかなって。で、もちろん俺はこの曲を通して誰も殺人マシンにするつもりはないけども、人生においては、こういう教え方があってもいいんじゃないかなって思う。もちろんハートマン軍曹ほど酷い言葉は使ってないけども。でも、そういうマインドがあったかな」
--続いて「I Don’t Care」。これはメロディックのファンが「うわ!?」って思う最初の曲になるでしょう。グレッチのイメージと直結したナンバー。
「そう。グレッチ持って最初に作った曲かもしれない。もう単純にこういうサウンドをやりたくて。でも今までの曲と一緒に並べた時のことも考えつつ、どうやったら自分たちらしいロカビリー・スタイルが作れるかなって。サイコビリーとはまた違うけど、ハードなロカビリーだよね。俺、もちろんストレイ・キャッツは好きだけど、リヴァレンド・ホートンヒートとか、あとはネオロカと呼ばれるあたりに好きなバンドが多くて。ロカビリーをハードに再解釈してる人たちというか。そういうのを自分でもやりたかった」
--ロカビリーって、型にはまる音楽でもあると思うんですよ。違うビートとかコードなんて誰も使わない。健さんも、まずその型にはまって、それから考える感じですか?
「うん。曲の構成とかコード使いは、ちゃんとロカビリーのマナーに沿ってると思う。ただ、そこにどういう気持ちを乗せるか、どういった音像でやるのかは、たぶんそれぞれのバンドの力量にかかってくるんだろうな」
--そこで問われるものは何でしょうね。
「……難しいな。でも日本人には想像できないくらい、ロカビリーってパンクバンドの血にもなってるんだよね。ロカビリーはロカビリーとして切り離されてない。実はゴリラ・ビスケッツがこういう曲調をよくやってる。それこそ「スタート・トゥデイ」っていう代表曲とか、跳ねるビートなんだよね。CiVにもそういう跳ねてる曲があったり。海外のハードコア、メロディック・パンクの中でもロカビリーはすごく大事なエッセンス。ファッションもそうだけど、それがクールとされてるところは今も絶対ある。ハイスタがワープ・ツアーとかで海外に行ってた時、俺にはそれがわかんなかったの。でも今考えるとすごく大事なんだなぁって。そういうところをけっこう見てたかな」
--なるほど。次の「Maybe Maybe」。これはメロディック・パンクのど真ん中。
「うん。これ後半にできたけど、これ作ったことで、どれだけメンバーが喜んだか。っていうかホッとしたことか(笑)」
--メロディックの中でも、特に横山健「らしい」曲ですからね。新境地の曲が多いぶん、こういう曲でらしさが際立つっていうのは今回の特徴で。
「あぁ、それは自分でもそう思う。これでひとつもメロディックがない、横山節みたいなものが全然ないアルバムだったら『あーあ……行っちゃったなぁ』って言われるんだろうけど。でも「Maybe Maybe」なんて絶対に横山節だと思うの。こういう曲があることで、この曲も、他の曲も引き立つっていうのは確かにあると思う」
--歌詞はかなりパーソナルで。奥さんに向けたものだと解釈できますけど。
「いやっ……書いてるうちにそうなっちゃったんだけども、ほんとは違うの」
--いい話から始まったわけじゃないんだ(笑)。
「ないの(笑)。ただね、人に感謝の気持ちを表明したことが、俺、実はないなぁと思って。初めて“サンキュー”から入っていった。だから歌詞は、当然奥さんを連想させるものではあるけれども、違う人のことも含まれていて」
--ファンも当然そこにいますよね。書いたことのない感謝をテーマにしたのは、どういう背景があるんでしょうか。
「……考えてみれば、この時からもういろんなものを背負ってたし、Mステに繋がるいろんなストーリーがすでに始まっていたんだと思う。『パンクスだったら簡単にサンキューなんて言っちゃダメだろう』って拒絶するのはすごく簡単だけども。それを超えて、今の自分に素直になってみたい、ちゃんと届けていきたい、っていう感覚あったんだろうな」
--5曲目は「DA DA DA」です。めちゃくちゃ速いパンクナンバー。
「これはね、テーマが先にあって。ディスコ・ソングを、パンクアップしたものにしたいと思ってた」
--ディスコ? どのへんですか。
「70年代から80年代までの。ほんとにディスコ・クラシックみたいな。俺、パンクに会う前、中学生の時とか普通にディスコ・ソングが好きで。たぶんその風景なんだろうな。原点というか、自分の中の定番としてディスコ・ソングがある。で、前にKEN BANDで「Can’t Take My Eyes Off Of You」のカバーをしたけど、そういった発想をしたかったの。まず名曲と呼ばれるものがあります、それをカバーしてみました、みたいな曲に。だからサビはすごく簡単で、大サビなんて“ダ、ダ、ダ ウォウォウォー”だからね(笑)」
--これも初期段階にできた、新しい試みとしての曲なんですか。
「あ、これはでも、ずいぶん苦戦したかな。音像はメロディック・パンクに近いんだけど、ネタはさっき言ったようなものだから。だから、どうやったらディスコ・ソングのアゲアゲ感をパンクにできるかなと。こんな短い曲なのに1年くらいかかって作った」
--そして6曲目が「Roll The Dice」。タイトルにもびっくりしますけど、サウンドにも驚いて。これも箱モノへの愛が爆発した一曲ですか。
「はい。で、これが大変だったです(苦笑)。まず基本のリフ、最初にある♪ダッ、ダラダダッ、っていうのを持ってきた時点で、メンバーは目が点なの。『……これをどうしろと?』みたいな。しっかりメロディがないと、ただ同じリフの繰り返し。どこで次に行けばいいんだか、次をどう考えればいいのかわかんない。だからほんとにスタジオでジャム・セッションしながら、何度も話し合いながら作っていった曲かな」
--あと大きいのは、バリトンサックスの導入ですよね。
「そう。もともと最初のリフ、あのテーマはギターじゃなくてバリトンサックスでやってもらいたいっていうイメージがあって。で、去年の夏フェスでスカパラの谷中さんに会った時に、曲もまだ完成してないまま『あのー、バリトンサックスありきの曲作ってるんですけど、客演ってしてもらえるんですか?』って打診したところから始まっていて」
--あぁ、吹いてるの谷中さんなんですね。日本一格好いいバリトンプレイヤー。
「Mr.谷中! 凄いよ、あの人。たぶん谷中さんに曲の全体像をわかってもらえたのが、スタジオでオケを録って仮歌を乗せたものを送った時だと思うのね。それからレコーディングまで数日もないんだけど、あの人、ギターソロを全部採譜して、ギターとまったく同じフレーズをユニゾンで吹いてくれたの。で、『これは別に使わなくてもいいし、バリトン一本でもいいかもしれないし、面白いと思ったら両方ダブルで出せばいいよね』って言ってくれて。当然、面白いからダブルで出した! バリトンサックスとギターソロのユニゾン。他にないもんね。すっごい嬉しかった」
--ちなみに、バリトンサックスを入れたいという最初のアイディアはどんなところから?
「やっぱデトロイト・ソウルみたいなところから来てるんだろうな。マーサ&ザ・バンデラスとか好きで。で、本来バリトンサックスって、まぁスカだったら刻み(=裏打ちのリズム)か、あとはビッグバンドだったら白玉系(=全音符。一定の継続音)なんだけど。あの低い音とこのギターを一緒にやったらどうなるんだろうっていう興味。そこから始まったのかな」
--ここでの歌詞は、ロックンロールの世界観や美意識に寄り添ったものですよね。そこに自分の人生をいかに摺り合わせるかっていうのは、今回苦労したところじゃないかと。
「そう! 簡単そうに見えてすごく大変だったの。でも、せっかく音像がこうなったんだから、変にオリジナリティがある言葉を使っちゃダメかなぁと思って。だからギャンブルになぞらえて書いた。ただ、二番の歌詞の話は星新一さんなの。子供の頃から大好きな話で。小学校の時に読んで、なんか『笑うせぇるすまん』的な怖さを感じたのはすごく覚えてる。意外とこういうのも俺の人格形成に関わってるんだろうなぁ。だから歌詞も含めて、今回はチャレンジが多いんだよね」
INTERVIEW BY 石井恵梨子
Vol.03 へ続く
--この取材は7月の20日。まだ10日しか経ってないので、まずはMステの感想からお願いします。
「うん。ほんとに一番最初に来るのは……やって良かったなってこと。出させてもらえて良かった。ただ、思いのほかリアクションが大きすぎて、ちょっと困惑してる自分もいる。俺ってもうちょっと悪役じゃなかったっけ? みたいな(笑)」
--今のところポジティヴな反応ばかりってことですよね。その中でも、健さんが想像していなかった声というのは?
「共演した3代目J Soul Brothers、NMB48のお客さんたちにも届いてたことかな。Mステと、あとコラムの文章も併せて。コラムは後日談も含めて自分の心境を書いたでしょ。ただの事実の羅列なんだけども、それがほんとに面白いドキュメントになったんだろうな、とは思う。『初めて知りました』っていうメールがたくさん届いて……否定的な人がいないことにびっくりしてる。もちろん実際はいると思うの。『お前に言われたかねぇ』とか『何言ってんの? ロック全然死んでねぇよ、細分化しただけでしょ』って言いたいロック好きな人たち。過去の発言とか存在とか、俺にもツッコミどころは多々あるわけで。でも今のところはそういうのもなくて。そこにも驚いてるかな」
--今後の健さんには、ロックシーンを背負うというイメージが付いて回りますよね。ただ、シーンっていう言葉は漠然としたもので。健さんが代弁したい、守りたいシーンとはどういうものなんでしょう。
「それはね、実際に(Mステに)出てみて認識が変わったところかな。出る前はほんとに身近なバンドのことしか考えてなかった。でもこれだけリアクションが大きかったら、それこそ直接面識がなくても、ライブハウスに出てるバンドのことは応援したくなるし、代弁……代弁じゃないな、同じ世界の住民だと思いたい。だから、やっぱライブハウスで地道に活動してるバンドってことになるのかな」
--そこにはどんな価値観、共通認識があるんですか。
「あぁ……なんだろうね? フィーリングでしかないけど、一口にバンドと言っても、言葉悪いけど、メジャーの事務所が組ませたバンドってあるでしょう? それは明らかに匂いが違う。善し悪しは別だし、すぐにホールツアーができるのはミュージシャンとして幸せなことなんだけど。でも最初から大人の仕掛け人がいるバンドには、すでに進むべき道があるし、そのバンドが終わった時に彼らもライブハウスには戻ってこないと思う。そこは俺の範疇じゃない。僕が背負いたいのはライブハウスで地道にやってる連中だから」
--なるほど。ただ、考えてみればライブハウス自体は減ってないし、むしろ増えてるかもしれない。でも今、そこにいるバンドがどんどん弱体化しているのはなぜだと思いますか。
「うーん! やっぱり………そこに突破口がないと元気がなくなっていくのは当然で。いくら月一回同じところに出ていても、それだけなら同じことの繰り返しになっちゃう。この先に何かがあるよっていう夢を、バンドも、お客さんも、あと場所を提供するライブハウス側も持ってないと。カネの問題じゃなくてね、みんな人前に出る以上は、まず有名になりたいの。その有名のなり方にもいくつか種類があるんだけど。そういった意味では、いつかテレビにも出れるんだよっていうのも夢のひとつ。横山健みたくなりたいじゃねぇかって思ってくれる人がいてくれてもいい。『あの人一応Mステで、EXILE TRIBEともAKBグループともタメ張ったぜ?』って。それはひとつ、わかりやすい目標にしてくれたら嬉しいと思うし」
--はい。で……今さらな話ですけども、そこに価値なんかないよって言ってたのはハイ・スタンダードなんですよね(笑)。
「うん(笑)。もちろんね、俺が今でも20代半ばのメンタリティで、ハイスタと同じような受け入れられ方をしてたら、きっと今も同じこと言ってると思う。でも現に違うから。しかも今はレコード会社を経営してて、ほんとにロックバンドが弱体化していく様を目の当たりにしてるわけ。どうしようか、どうやったら君たちをミュージシャンとして長持ちさせてあげられるのかっていうことを、ここ5〜6年のピザオブデスではすごく考えていて」
--あぁ、もうフックアップって言葉じゃないんですね。いかに長持ちさせるのか。継続すら難しい。
「そう、継続すら難しい。もちろんどのバンドも、メンバー全員がひとつのバイオリズムに合わせられるわけじゃないよ? 苦労なんて昔からあったことで。でも実際、家庭とか経済の事情でいいバンドがどんどん潰れていっちゃうのが寂しくて。たとえばモガ(・ザ・ファイヴエン)が潰れた時はやっぱショックだった。痛いとも言えない、鈍痛みたいなものがあって。それはピザのバンドじゃなくても同じ。だから、そこは何とかしたいな。俺がなまじいい思いをしてるがために。なまじ人より気合いが入ってるがために(笑)」
--いい思いをした、だけでなく、ハイスタの功罪ということも考えますか。
「すごく考える。そこはコラムで唯一触れられなかったことで。ハイスタはね、それ以降のバンドに、テレビ出るのが格好悪いっていうイメージを付けちゃったと思う。だったら、それを払拭できるのは俺かナンちゃん以外いないと思ってた」
--あとは、ハイスタがパンクをカジュアルにしたことですよね。メディア露出を否定する普段着のパンクが増える一方で、どんどん軽薄になっていくバンドも増えた。ハイスタ休止から数年後はやたら青春パンクがテレビに出てきて。あれは私から見てもほんとダサかった。
「ははははははは!」
--でもそれは結果であって、健さんは「そんなの知らないよ、俺、関係ねぇじゃん」って突き放してもいい立場にいるんです。なんでそこまで若手のケツを拭こうとするのか。そこは不思議でもありますね。
「あぁ……まぁ正直言って、そこでテレビ出てたバンドまで背負う気はないよ(笑)。だけど現状がこうなってる以上、やっぱり今頑張ってるバンドと、あとはこれから出てくるバンドたち。今なんとか一生懸命夢を見ようとしてるバンドと、何に夢を持ったらいいかなと思ってる若いバンド。あとはこれから楽器を持とうとする子供たち。そこを背負いたいのかな」
--わかりました。そういう気持ちはアルバム制作の段階からあったと思います。ただ、シングルの取材でも言ったように、今回は箱モノギターへの興味が先だった。そこから生まれたサウンドと、今話したようなメンタリティは、どれくらい密接なものなんでしょう。
「そうだなぁ……でも繋がってると思う。箱モノのギターを持つことは、イコール、昔のロックンロールの風景に想いを馳せることで。自分が育ってきたこと、目にしてきたこと、耳にしてきたミュージシャンたちを、あらためて見つめ直す作業で。センチメンタルとかノスタルジーって本来パンクにとって御法度でしょ。でも自分がそうなってるのは認めざるを得ないし、その御法度も突破したいと思った。自分のルーツを見つめながら、今バンドたちが置かれている現状を見つめて、なんとか風穴開けたいって思ってる……。そういう一連の思考って、なんか一直線上にある気がするな」
--個人の話とシーンの話が分かれてないんですよね。音楽の歴史を見つめることが、未来の子供たちへの視点と繋がっている。ロックの未来を何とかしたいと動くことと、メロディック・パンクにこだわらなくなったことが、矛盾なくひとつの線になっている、というか。
「そうそうそう。それは今回のアルバムの……もしかしたら自分でもまだわかってない、大きなテーマかもしれない。最初はもっと単純なはずだったの。箱モノギターを弾くようになって、ちょっと古いもの、メロディック・パンクにこだわらないものをやりたくなっちゃったな、っていうだけの話だと自分でも思っていたけども」
--ただ、「メロディック・パンクのスタイルから離れるとこまで離れる」っていう発言は、去年夏にすでにあるんですよね。けっこうな強気発言。言ったら自分がずっと大事にしてきた一番の勝負服じゃないですか。
「ねぇ? なんであの時期あんな強気だったんだろうなぁ(爆笑)。わかんないんだけど。でも離れるっていうのも、本当は音楽的な意味ではなくて、精神的な、挑戦的な意味だったと思う。日本でメロディック・パンクを作ったのはアンタじゃないか、っていうところに対して……どうでもいいじゃねぇか!と(笑)。身も蓋もないけど、ほんとにそう言いたかった」
--メロディック・パンクを最初に鳴らしたという事実は、いつの間にか、自分の足枷になっていたんでしょうか。
「うーん、今となってみれば、少し思う。ハイスタの時はそんなこと考えもしなかったけど、KEN BANDでアルバムを何枚も作っていくと、やっぱ求められてるものに自然と嵌まっていこうとしてる自分たちを感じることがあって。たとえば3コードのロックンロールが出てきたら『これKEN BANDでやってもねぇ。俺らが鳴らす必要ないでしょ』みたいな思考に、一時期はなってたと思うし。でも今回は思い切ってそこを乗り越えてみようと。でね……話は違うんだけど、パンクロック、ロック、ロックンロールって、みんなにとって違うものなのかな? 皆さんにとってそれぞれ違うのかな?」
--うーん。やっぱり呼び方が変わるのは精神性も関係あって。最初はビートルズやビーチ・ボーイズもロックンロールのバンドだったけど、60年代後半からはロールが取れていく。思索性や文学性が加わってくるし、彼ら自身も楽しいパーティー用のラブソングを作らなくなった。
「あぁ、確かに。哲学的なものが加わってきてロールが取れたのかな」
--それが当時の社会運動と一緒になったことも大きい要素だと言われますね。60年代後半の学生運動、ベトナム戦争反対という若者たちのムードの中で、たとえばドアーズは楽しくロールする必要もなかった。
「あ、なるほどなるほど。そうだよね、時代と結びつくことで、娯楽じゃない、カウンターカルチャーとしてのロックになったんだ」
--そのカウンター精神やメッセージをより尖らせたのが70年代のパンクとも言えるけど。同時に、以前のヒッピー文化を否定したのもパンクだから。精神世界はどうでもいいからシンプルな3コード鳴らせよ、っていう意味ではロックンロールへの回帰でもあると。
「そっかぁ……うーん。興味深いね。確かに。言葉によって人々への広まり方って違うもんね。受け取られ方も。日本だとさ、たとえばロックンロールっていうと、カタカナで書くロケンローっていうイメージになる」
--アレですね。リーゼントの名物おやじ、名物マスターみたいな(笑)。
「そうそう(笑)。そこじゃないんだよっていうのは、ひとつ言っておきたいところ。でね、俺にとってはパンク、ロック、ロックンロールって根底は一緒なの。今までだって、ハイ・スタンダードの時もKEN BANDの時もずっとロックンロールをやってるつもりだった。ロックンロールの中のメロディック・パンクをやってたつもりで。そこが今回、どうでも良くなっちゃった」
--それって「小さいこだわりを捨てた」というニュアンスですか。それとも「このスタイルの可能性を見切った」に近いのか。
「見切った、はないな。メロディック・パンクのマナーで一枚アルバム作れって言われたら、たぶん今もできるだろうし。それを捨てたわけでは全然なくて。実際、興奮しながらロックンロールの曲を作るんだけど、まず手元に揃った曲があまりにも異質なのは自覚してたの。で、こっから戻るんだ! ここからいい曲を、格好いいメロディック・パンクの曲を作ったら、それこそNOだったものもYESになるはずだ! って。そこは自分でも興奮してたし、すごくモチベーションも高くやれたかな」
--わかりました。そうやって作った作品は、今、自分にとってどういうアルバムになったと思いますか。
「そうだなぁ。音楽的なチャレンジも含めて、なんか、自分を新しいところに連れて行ってくれるような。そういう期待ができるアルバムかな」
INTERVIEW BY 石井恵梨子
Vol.02 へ続く